相対的幽霊人間

おはようございます。マルコです。

 
 6月の下旬頃、夕方。私は電車を乗り過ごし、人が少ない駅から最寄り駅に向かう最中でした。そこそこ空席の目立つ車両に、恐らく中学生であろう男女二人組が、談笑しながら私の隣に座ってきました。

 まぁそれ自体は(ほかにも席は空いているのに…)とちょっとは思いましたが特に気にせずぼーっとしていると、隣の女子がカバンから三ツ矢サイダーを取り出し、「プシュッ!」と小気味いい音を立てて開封したのです。

 6月とはいえもう下旬。梅雨も明け段々と熱くなってきたこの頃、ペットボトルから弾け出る三ツ矢サイダーと女子中学生は中々絵になっていますし、飛び散る水滴が男子中学生にかかっても「飛んで来たじゃんかよ~」と文句を言いつつ、ひんやりパチパチとした三ツ矢サイダーの感触に満更悪くなさそうな顔で笑っています。

 このまま青春映画の一ページになりそうだなと思いつつ、私は「自分の手にもかかっていた三ツ矢サイダーの水滴」を眺めて悩んでいました。

 男子のほうは、三ツ矢サイダーの水滴が「飛んで来た」と認識しており、それ女子に指摘している。ということは現在「私・女子・男子」と座っているのだから、私にもかかっている可能性は十分にあり得ると考えるのが妥当ではないだろうか?三ツ矢サイダーが男子のほうにだけ集中的に飛んでいくとは考えにくい。
 そしてその指摘を受けた女子も、男子に「ごめんて~」と謝っている以上、私にも事実確認をするべきではないのか?

 いや、実際に別にそんなことでキレる程短気なわけでもないし、ぶっちゃけ向こうが
「あ、すみません…そちらのほうに三ツ矢サイダーがかかってしまったでしょうか?」
と神妙な顔で謝ってきたら私もビビるので、この状態で全く問題はなかったのです。

 ただ、掌の上で段々と粘り気を持つ三ツ矢サイダーの水滴を眺めながら私はこう思ったのです。
(彼らの中で、今、私は認識されていないのだ)
と。

 彼らは今二人だけの世界でイチャイチャよろしくやっており、その二人の青春舞台には「彼・彼女・電車・三ツ矢サイダーがあれば十分であり、隣に座る私はいらないから無い物として、よくて「一般人A」ぐらいの認識があるかどうかぐらいなのです。これがね、もし女子の隣が二人とも知らない人で、そのうちの一人が「飛んで来たじゃんかよ~」と言ってくれば、女子の方だってその人に「すみません」と謝った後、反対側の人にも気を遣うと思うのですよ。簡単に言ってしまえば恋は盲目です。見えていないし気にしてないと。

 ここで私は更に
(もしここで男子が『もー!隣に俺以外人がいなくて良かったよ』と言い出したらどうしようか…)
と想像しだしたのです。
 
 電車の中には他の人も少なく、このカップルが私の存在を否定するような発言をした時、私は本当にこの場所にいると誰が証明してくれるのか。もしかして実は私が何らかの事情で人から見えておらず、認識されていない状態にあるんじゃないか。実は電車に乗る前にこの世から去っており、幽霊として電車に乗っているんじゃないか。そんな想像を膨らませて、その瞬間だけ自分がここにいないものになった気分になったのです。

 私という人間は、確固たる自我があり考えがあり、日常生活も営んでおり戸籍も獲得しており、こうしてブログで文章も残している。ですが、あのカップルの世界では私は幽霊人間であり、あの二人を通した視点では確実にその時私は「世界に居なかった」のです。未だに映画「インビシブル」に出てくるような透明化の薬は無けれども、相対的になら人は幽霊のようになる事が出来るのだと、そんなことを考えていました。

 「自分は自分を認識しているのに、他者からは認識されない」そんな時どちらの認識を信用すればいいのか。物語の世界で出尽くした議論であり題材にされてきたお話ですが、中々どうして実際に起きてみると自分を信じにくい物です。

 ではまた。