我々は何時までVtuberと狂ったダンスを踊れるのか?

今晩は。マルコです。

 唐突で申し訳ないんですけど、私輝夜月ちゃん大好きなんですよ。大好きすぎてこんな記事書いちゃうほどなのです。

 んで今午前二時です。明日早いんで早く寝ようと思ったら変な時間に起きてしまったのですよ。眠れないので仕方なくスマホで月ちゃんの新作動画【選手権】映え~~のサムネ紹介するわ~~~~を見直していたのです。見てくれれば分かるんですけど、この動画では輝夜月ちゃんと、本人が声を当てているジャスティン・エビーバー」なるゆるキャラとコラボをしたっていう体で話が進むのですよね。もう数回目の視聴なのですが、今しがたフッと

「いや。ジャスティン・エビーバーってなんだよ」

って思っちゃったんですよ。
 そう思った瞬間、いやこれやばいなこれ不味いなって思って、気持ちの整理を付けるためPCを立ち上げこうして文を打ち込んでるってわけです。

Vtuberという未知のコンテンツ

 今まで似たようなコンテンツはあるっちゃありました。それこそ我々10年代オタクで言えば初音ミクが技術の進歩によりステージで踊り、それをファンがお金を払ってそのステージを見に行くなんて事実は、「ああ、技術ってここまで来たんだな…」って思わせるものがありました。

 そんなんで「Vtuber」っていうのも最初から寛大に受け止められていたイメージがあります。それこそ抵抗感があったのは「えーでもようつべの文化やろ~??」というプラットホームからくる偏見ぐらいで、輝夜月ちゃんの動画が「首絞めハム太郎」という名前変えてニコニコに転載されてからは、「ようつべは陽キャやキッズ、パンピーが見るもの」と忌避していた陰キャオタク共もこぞってようつべのチャンネル登録をし生放送に投げ銭をぶち込み始めました。各言う私がまさにそんな感じです。後のじゃおじ辺りの影響力もデカそう。

 初音ミクMMD・FaceRigでの生放送その他諸々…今まで土壌となった3D映像?コンテンツが土壌となり、Vtuberで一気に花咲いたといえるでしょう。

 ただ、例え3Dアバターへの認識があったとしても、Vtuberが未知のコンテンツである事には間違いなく、今どんどん増えていくVtuberに対し、我々は理性のタガを外し、踊れ狂えと熱狂の渦にその身を預けているのかなと、冷静になるとそう感じるのです。

スマブラを友達とやるような、そんなテンションで

 今Vtuber文化はまさにホットな成長期でしょう。毎日のように新しいVtuberがコンテンツに殴り込みをかけ、ルール無用の大乱闘。そう大乱闘です。例えるなら我々観客は、

大乱闘スマッシュブラザーズをガチャプしながら酒飲んで友達とゲラゲラ笑っていられるような、そんなわけも分からないし特にルールも決めてないけど滅茶楽しい!

みたいなテンションでこのコンテンツと向き合っているのでしょう。それが盲目の恋に落ちたガチ恋勢」だったり「5万円の投げ銭でミライアカリの彼氏面するオタク」だったりするのでしょう。

 でもいつかは酒は切れるし、スマブラもずっとはやれません。いつしか「あー楽しかった」とコントローラーと酒瓶を置く瞬間と言うのは必ず来るのです。もしくはめちゃやり込んでる友達とガチ勝負がしたくなる時もあるかもしれません。

 何が言いたいかというと、「どんなものもいつかは夢から覚め、冷静に向き合うタイミングがくる」ってことです。

・我々は何時までVtuberと狂ったダンスを踊れるのか?

 今、流行と今までのオタク文化の土壌を加速装置として圧倒的なエネルギーを生み出しているVtuber界隈。我々は現在その熱量に浮かれてコンテンツを持ち上げているところは非常に大きいと思います。

 シンデレラが夜12時の鐘で魔法が解けるように、この魔法の時間がVtuber達から無くなった時、我々は綺麗なドレスとガラスの靴を履いていないシンデレラと、舞踏会の時と同じ様に手を取って一緒に踊れるのでしょうか?

 それとも今まで幾多の一過性のコンテンツがそうだったように、魔法が解けたシンデレラにはだれも見向きもしなくなるのでしょうか?

 ジャスティン・エビーバーに疑問を持ち、これを茶番だといっっっしゅんでも思ってしまった私は、もう既に半分ほどこの魔法が解けかかっているのでしょう。

 奇しくも今日6/1は、輝夜月ちゃん二回目の生放送があります。私はそれを見て今までと同じように、あの月のお姫様と一緒に笑って踊っていられるのでしょうか。

 ああ私のシンデレラ。どうかその魅力がそのドレスと靴にあるのではなく、君自身にある事を私に信じさせてくれ…

 ではまた。