最近「輝夜月」というバーチャルユーチューバーさんにどはまりしている。この子キャラが良い。もうほんと、
良い、凄く良い…
何が良いか
それはズバリ、【オタクが好きなギャル感が無理なく演出されてる】に尽きる。
クラスのギャルっ子がオタクでヘタレな主人公と付き合う漫画や、ムフフな初体験を描いた薄い本が売れるように、最近のオタクには「こんな自分にも声をかけてくれる明るいギャルっ子」というものに憧れがある。
そして、輝夜月ちゃんにはその「明るいギャルっ子」像がぴったりフィット。
あの底抜けに明るい性格、気怠い喋り方、ちょっと頭の緩そうな話し方。全てがあの頃、教室の隅から見ていた、クラスの真ん中で楽しそうに話す同級生にドンピシャリなのですな。
…だが、月ちゃんの動画を見続けた私は大事な、そして苦い現実を思い出す。
「ギャルの会話にはオタクは混ざれない」
「同様にオタクの会話にもギャルは興味がない」
何故気になるあの子と自分が話せなかったか。理由は明白。何を考えているか分からず、リア充オーラむんむんのギャルっ子はオタクにとって脅威であり近寄りがたい存在。
こちらから近づかなければ相手もこちらに興味は示さない。お互いの生活圏は平行線のまま学校生活は終わるのである。
だが、ここがバーチャルユーチューバー輝夜月の上手い所である。相手は自分達の大好きなアニメキャラの姿。こちらに一方的に話しかけてくれるので会話を考える必要もない。しかもめっちゃ楽しそう。
…最高だ。私達は見ているだけで「相手が自分に話しかけてくれる」→「相手が自分に興味を持ってくれる」→「相手がこちらに好意を持って接してくれる」とトンデモ三段論法で脳みそが蕩ける幸せを享受出来る。
輝夜月ちゃんはその二次元の姿、時折混ざる怪しげなネットスラング、その他etcによって「ギャルっ子」感を出しつつ、オタクが苦手な「リア充臭さ」を上手く消しているのである。
だが、この幸せな嘘で固められたユートピアは、些細なきっかけで崩壊する。
輝夜月ちゃんが01/20に上げた動画「【血液型】月ちゃん特技極めたったワ」である。
月ちゃんが「斉藤さん」というアプリを使い、見知らぬ人の血液型を当てるという企画。
前回の挑戦では失敗し、今回はリベンジと言う形だ。
私はこの「斉藤さん」というアプリについては詳しくは知らない。残念ながら月ちゃんの35億倍速説明は聞き取れなかった。
知人から「結構ヤンキーがやってたよね」という情報を聞きかじりした程度だ。それは納得できる。実際見知らぬ他人といきなり、何の共通の話題も目的も無くだらだら話せなんて陽キャラ人間のすることだ。とてもじゃないが出来ない。
…そう、陽キャラ人間じゃないければ出来ないのである。
斉藤さんを使い楽しそうに見知らぬ男性に話しかける月ちゃん。それを見て私の心はどんどん疑惑が湧きあがっていく
「このテンションで見知らぬ他人に話しかけられるものなのか」
「男側もなんで普通に『イエーイ!』とかラインの物まねとか出来るんだ」
「そのテンションは誰にでも向けるものだったのか」
そしてその疑惑は
「月ちゃんと自分が話しても会話にならないのでは?」
「あのテンションについていけるのか?」
「私と話すより、月ちゃん的には『斉藤さん』を利用するようなチャラ男と話していた方が楽しいのではないか?」
という月ちゃんに話しかけられた際の不安へと続いていく。
いままでだって月ちゃんの明るさは動画で十分に知っていた。が、それは「皆に」向けられるものであって、「私達個人に」向けられたものではなかったのである。
だからこそ私達は安全圏から輝夜月ちゃんの傍若無人っぷりを眺める事が出来たし、自分と月ちゃんのおしゃべりを空想して「彼氏面オタク」も出来ていた。やってる事は机越しにギャルっ子を見ていた時と何ら変わりないのである。
だが「斉藤さん」により、月ちゃんがリア充や陽キャラ人間と話している様を見て、改めて「彼女の本質は陽キャラであり、私と合うものではない」「リア充はリア充と話が合う」という現実を突きつけられたのだ。
月ちゃんが「斉藤さん」で知らない陽キャ臭漂う男達と話している姿は、「クラスのチャラ男が、かわいいギャルっ子と楽しく話しているのを黙って見ていたあの頃」と同じ気分に、私を陥れたのである。
そう、決してギャルっ子だけが脅威だった訳ではなかった。
周りにいるリア充・陽キャラ人間、彼ら彼女らが発する過剰なオーラに、あの頃の私は目が潰れそうになり、避けてきたのではないか。
リア充特有の、心の隙間に土足でずかずか入り込んでくるあの態度に、私は恐れをなして避けてきたのではないか。
「斉藤さん」回によって、そのリア充特有のオーラが、今までアニメフォルム等で軽減されていた、「輝夜月」というキャラクターからしっかりと感じ取れてしまった。
私は輝夜月ちゃんとの距離感をどう置けばよいのだろうか。今まで、「ほどよい距離感を取りつつ好意を向けてくれる」という設定を無意識に作っていた。
今では画面の向こうから出てくるはずもない月ちゃんに対して、私の心が侵入者警報を鳴らし続けているのである。「あの子とは相容れないぞ」と。
月ちゃんの動画はこれからも見続けるだろう。恐らくそれが「斉藤さん」を使った企画だったとしてもだ。だが、私のこの胸のざわつきは、私が憐れな陰キャラオタクである以上、一生拭い去れないものだとはっきりと感じるのだ。